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大学2年時、私はなにもかもがいやになっていました。何もかもというのは本来の意味での何もかもであり、まず寮生活がいやでしたし、大学生であることもいやでしたし、もうすぐ20歳になるということもいやでした。でも寮食堂のシチューに大根が入っているのは、賛否両論ありましたが私は好きでした。
今から考えればいわゆる青年期の危機というやつだと思うのですが、シチューの大根以外はすべてがいやになっていた私は、旅行を繰り返しておりました。当然学生の身ながら旅行をしているということは全く単位を取っていませんでしたがそんなことは気にせず、東京に行ったり、大阪に行ったり滋賀、名古屋とさながらトラック野郎のような生活をしておりました。トラック野郎なら仕事ですので収入が入るんですが、無目的トラック野郎(性格にはちゃりんこ野郎)な私は各地で派遣会社に登録しバイトにいそしんでおりました。
そんな生活を長く続けていたのですが、6月のある日、私は少しの間、寮に帰りました。それはちょうど私の誕生日の一日前だったのですが、ちょっと前に行っていたホテルのバイト代を取りに行くのが目的だったのですが、そのバイト代で私は一枚のCDを購入しました。それは今は惜しくも解散してしまったブランキージェットシティの一番はじめのアルバムです。寮に帰り早速それを聴いていると、その中に僕の心を取り戻すためにという一曲がありました。この歌詞はようするに曇り空の中、旅行に出かけるというような内容だったのですが、それを聞いた私がふと窓をみるとまさに曇り空。その夜、後輩と将棋を指していた私は、運良くその後輩に勝つことができました(私は非常に将棋が弱い)。
そこでふと私は、曇り空+将棋の勝利=そうだ、九州に行こう!
と常識人ならば全く意味不明の足し算が成り立ち、これは天啓とばかりに私は自転車で九州旅行に出かけることにしました。以前、犯罪者心理について書かれた本を読んだことがあるのですが、犯罪者と非犯罪者の境目は、偶然起こったことをやたらと必然と考えてしまうか否かというところにあるらしいです。まあそんな話はさておき。
さてさて、大学前半の私がなぜ何もかもがいやだったのか、その考察を少し。とある少年漫画編集者キバヤ○氏の発言をすっかり真に受けて1999年7月には恐怖の大魔王が降ってくるものとばかり思っていたことが原因の一つといえます。東京で私を泊めてくれたO君に寝袋を借りて彼に真剣に恐怖の大魔王のことを語っていた私の方こそ、O君にとってはかなりの恐怖を与える友人であったことは間違いないです。
もう一つは、あまりに物事を観念的に考えすぎていたことが原因だと思われます。私は高校入学の次の日からとある病気で入院したことがあります。このときは後一日入院するのが遅かったら死んでたかもってな状態だったのですが、そのときは体調は最悪ながらも全く死の恐怖という感情がわきませんでした。このことが、その後の私を死の恐怖から解放したのですが、ただ、それとともに私の中で自分の命を軽んじる傾向が生まれました。死の恐怖自体がないのだから、いつ死んでもいいじゃんと。
この考えは15歳から20歳までの私に常に絡みつき、寮に入って一人で考えることが増えてからその傾向はさらに増幅されていきました。この増幅された考えは私の命を常にねらう死神のようになっており、ちょっとでも油断するとその死に神に首を刈られそうでした。そんなわけで私はこの死神君と戦うためにも大学の講義など受けている暇など到底なかったのです。私の考えでは、私が多少留年しようが、いきなり死んでしまうよりはましであろうという考えもありました。そう、あれを体験するまでは。
閑話休題。
すでに私の頭は自分の心を取り戻すためには旅行が必要であるとの考えでいっぱいだった私は、あまりにその妄想が肥大化してしまっていたため、なぜか九州ぐらい2.3日で回れるだろう思っており、そのために所持金も1万円程度しか持っていないまま、ノーマルチャリンコに傘と鞄(服2枚とパンツ2枚・CDウォークマン)で旅立ちました。
初日は天気は曇り空ながらも、ちゃりんこ(名古屋地方ではケッタマシン)は順調に疾走し山口大学がある湯田温泉から九州の小倉というところまで到達しました。途中、関門海峡をわたるとき、歩行者や自転車で九州に渡る人たちのために、海底トンネルがあります。私の記憶では確かエレベーターでトンネルまで下りていくのですが、ここを利用するときにいくらか小銭を入れねばなりません。いくらだったのかさっぱりと忘れてしまいましたが、私はしっかりをお金を支払いました。*1
ここは以前、高校時代の先輩が遊びに来たとき一緒に止まったことのあるカプセルホテルがあり、そこを寝床とすることにしました。このホテル、カプセル内にテレビがあり、常時H放送が流されておりました。うら若き青年であった私がこの放送を見逃すわけもなく、旅行初日にしてすでに一睡もしないまま次の朝を迎え不必要に体力は消耗しておりました。
そんな次の朝、天候は思わず笑いがでてしまうような大雨。後から聞いた話では私がこの旅行をしたときは記録的な大雨だったそうですが、そんなことはみればわかるといわんばかりの雨でした。その中で自転車をこぎ出したのですが、さらに雨も激しくなり、さらには直角に雨が吹き込んでくるので傘は全く意味をなさない物となってしまいました。そんなわけで傘を差すのをやめ自転車を賢明にこいでいたのですが、とあるコンビニの前を通るときその事件は起こったのです!
・・・その2続く・・・でもその2がいつになるかは謎。
h15.7.2
*1この文を書いた後、ふといくらだったのか気になった私は、ネットで検索してみました。すると自転車がトンネルを通るための料金は20円であるとのこと。結構高かった覚えがあるんですが、当時から料金が変わっていないところ考えると、20円を高く感じていた私の金銭感覚が忍ばれます。なにせ寮食堂の食券は250円です。寮生以外は350円で、大根入りシチュー、または長期休みの前のカレーバイキングを食すことができます。バイキングなら胃の限界まで食べてしまうのが寮生。今では思い出すのもおぞましいほどの寮生がカレーに群がり、なぜだか寮外生も群がり・・・。
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