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未必の故意・・・これをごく簡略に、そして非学問的に、非常にアバウトに説明すると、普通の故意がたとえば、誰かを殺そうと思って実際その人を刺し殺してしまうということに対し、未必の故意は、積極的にはその人を殺そうとは思っていないけれども、自分の行為、たとえば自分が非常にくさいおならをすることにより周りの人が呼吸困難を起こし死んでしまうかもしれないけど、「まあいっか」とばかりに放屁し、結果周りの人々を死に至らしめたときの自分の心理状態を指します。未必の故意は刑法的に「故意」が認められてしまうことがあります。(上記の放屁の例だとほんとは刑法的に罪になるかは難しいところなんですがここはそんなまじめな議論をする場ではないので省略)
こんな未必の故意に当たるかもな事例に正月があけてまだ10日だというのに2例も遭遇してしまったのです。しかも自分が未必の故意を問われる者として!
といっても当然私の放屁の問題ではなく、それは友達との新年会、そして、また違う友達とサッカーを練習していたときに起こりました。
新年会をとある居酒屋で行っていたんですが、きれいな女性も一緒にお酒を飲んでいたため、われわれの酒量も進みに進み、まさに酩酊状態となっておりました。私の友人に、全く他人と会話をせず常に黙々と酒を飲み続け一人で酔いつぶれるという非常にたちの悪い男がいるんですが、その彼はいつものように当然に一人で飲み続け、一人で酔いつぶれて、居酒屋のトイレを不法占拠しておりました。店が閉まる時間となり、もう一件行こうということになったんですが、店にも迷惑がかかってしまうので、その友人を無理やりトイレから出し、とりあえずは店の外に出しました。
ちょうどこの日は徳島では珍しいほどの雪が降リ続いておりかなり寒かったんですが、この友人は店の外に出ると、店の前にあったベンチに寝転がりわれらが起こそうと思っても動かなくなってしまいました。とりあえずわれわれ自身が酔っていたのとあまりに外が寒いため、早く移動したかったので、その友人に後から携帯に電話しろと声をかけ、そのベンチにおいていったんですが、そんな会話をしている最中にもこの友人に雪がしんしんと降り積もり、なぜか私はそこで「フランダー○の犬」の最後のシーンを思い出し、「彼はここで天国に行ってしまうんだね」と私の心の中の友達、「ネ○」にかたりかけてその場を去りました。
その後、小一時間ほどたち、彼の様子を見に行ったのですが、彼はそのベンチから消えておりました。時代劇のように寝床に手を入れて「暖かい、まだ近くにいる!」などと確かめることは、彼は木のベンチで寝ていたので当然できるわけもなく、まだ雪の降り続ける夜空を見上げると、確かにそのベンチで寝ていた友人とパト○ッシュが天使に囲まれ、笑顔で私に手を振りながら空に上っていく姿が私の目にはっきりとうつり、私は「彼は短いながらも幸せな人生だった」と一人涙しその新年会もそこでお開きとなったのです。
次の日、きれいさっぱりとその友人とパト○ッシュことは忘れていたんですが、その新年会に参加していた別の友人からメールが入り、昨日ベンチで寝ていた友人と電話がつながらないんですが大丈夫ですかね?との連絡が。
これで彼がもし本当に天国に行っていたら私はもしかして未必の故意?!と驚いた私は、彼の実家に直接かけると、まだまだこの世に未練があったのか、はたまた天使の勘違いか彼の明らかに二日酔いな声を聞くことが出来たのです。いやはや生きてて良かったよかった。
こんな未必の故意から5日もたたない日、私は友人と真昼間から河川敷でサッカーをしておりました。サッカーといっても普通のサラリーマンをされている方は昼間からグラウンドを走り回るということは仕事の都合上できないため、暇で暇で仕方のない友達と二人でセンタリングの練習をしていたのです。
その練習の最中、私が出したパスに対し彼の反応が遅れてしまい、ボールはグラウンドとグラウンドの間を横断する水路の方向へ。ダッシュしたのですが、間に合わずぽちゃんとその水路の中に落ちてしまいました。水路といっても、水深30センチほど、幅も4メートルもないところで、両岸には角度45度ほどの傾斜がつけられたコンクリートで固められていました。
最初私は付近にあったロープでボールを引っ掛けて取ろうとしたのですが、いまいちうまくいかず、友人がこれまた近くにあった棒でなんとかボールを手繰り寄せ、ボール自体の救出は結構あっさりと成功しました。ただ、友人が棒でボールを取っているときに、ちょっと滑ってしまい水路の中に足をつけてしまいました。
水路の中はこけがはっているらしく、かなりすべるとのこと。
私は先にその水路の斜面から脱出したのですが、ふと下を見るとその友人がもがいて必死な様子。「どうした?」と聞くと、水の中に両足突っ込んでしまい、そのために靴の裏側にこけがつき、足の踏ん張りが利かず手だけで自分を支えているとのこと(ロッククライミングみたいになってます)。
私はその友人を救出するために、付近にあったロープを彼に投げ、「これにつかまれ!」といい、ロープで彼を引き上げておりました。その引き上げる最中「ファ○ト!いっぱーつ!」などいいならがちょっと面白かったんですが、なんせかれは太っていてやたら重いのと、その必至になり赤鬼のようになっている彼の表情、そしてこの一本のロープが彼の生殺与奪権を握っている事実が複合的に絡み合い、私の心の中の友人ネ○が「このロープの力をちょっと緩めると、もしかしたら面白いことになるかもね」と囁きだしたのです。ぱっと放すと危ないですが、緩めるぐらいならずるずると川に落ちていくぐらいですむかも・・・、などと危険な考えが私の脳裏を駆け巡ったんですが、さすがにこんな面白い事態はデジカメを持ってきているときに取っておくべきだだと考え直し、そのままロープの手を緩めず、友人を引き上げたのです。
あの時私が手を緩めていたら・・・。
未必の故意とは日常生活で普通に起こる事態にも充分存在している法的問題のようです。
H15.1.11
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